藤枝の生んだ小川国夫、藤枝静男を中心とした地元作家の紹介 藤枝文学舎ニュースのバックナンバー掲載


by fujiedabungakusya

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# by fujiedabungakusya | 2017-12-31 09:04 | インタビュー
平成28年二月二十一日 藤枝文学舎特別イベント
作家・小川国夫のエッセー「曲玉」に描かれた烏帽子山を散策。
藤枝文学舎会長の八木洋行氏による山頂のレクチャーと
八木哲氏による「曲玉」の朗読の模様。

藤枝烏帽子山頂上レクチャー(講師・八木洋行)



https://www.youtube.com/watch?v=8uSJEW0qQJ4&feature=youtu.be

小川国夫著 「曲玉」(随筆集「親和力」より) 朗読・八木哲



https://www.youtube.com/watch?v=8P6Lea6X9us

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# by fujiedabungakusya | 2016-03-15 10:38 | 文学舎関連動画

おしらせ

おしらせ

●第7回 逸 民 忌

・小川国夫墓前祭

日時 4月10日(日) 
午前10時30分~
場所 島田市旗指 敬信寺 
・藤 枝 文 学 舎 総 会 

日時 4月13日(日) 
午後1時30分~
会場 藤枝市文学館 講座室

・逸 民 忌

日時 4月13日(日) 
午後2時30分 ~
会場 藤枝市文学館 小川国夫文学碑前

●第22回 雄 老 忌

・藤枝静男墓前祭
日時 4月24日(日) 
午前11時 ~
会場 藤枝市五十海 岳叟寺

・雄 老 忌

日時 4月20日(日) 
午後12時 ~ 
会場 藤枝静男文学碑前
     (蓮華寺池公園内駐車場)

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# by fujiedabungakusya | 2016-03-15 10:34 | 運営会議
歌曲「蓮華寺池の夏」創作秘話  
  または「連鎖劇」のことなど 
     
鈴木啓造

 昨年夏、私は「蓮華寺池の夏」という歌を書き、その冬、茶町の「一言座」で上演された「海軍カレー」という劇の「連鎖劇」の場面で歌わせてもらった。この歌を作詞したのは、劇の脚本・演出も手がけた八木洋行氏である。氏は、民俗学者、フォトライター、しずおかの文化編集長など多面的な活動が知られているが、ここ数年は、演劇の脚本・演出の分野にその活動の幅を広げている。

 冒頭に「連鎖劇」と書いたが、氏はこの連鎖劇のアイデアを存命中の藤枝静男さんとの談話から得たのだという。上伝馬にあった映画館の「旭光座」では、映画だけではなく、よく舞台劇も行われていて、舞台役者が劇の途中で劇場外に飛び出してゆくと、それに連鎖する形でスクリーンに映像が映し出される「連鎖劇」という形式があったことを教えてもらったのだという。氏は今回の「海軍カレー」の構想を練るにあたり、ぜひとも、この「連鎖劇」のアイデアを自らの劇に取り入れたいと考えたようであった。

 今回の劇の主人公の梶原は、藤枝出身の海軍の軍人で、ミッドウェイ海戦で海の藻屑となって死んだ亡霊という設定である。自分が死んでいることを自覚できずに、本物の海軍カレーや幼き日からのいいなずけの「美佐子さん」の幻影を追い求め、ダンボールで作った軍艦の着ぐるみを着て藤枝じゅうを徘徊するという物語となっている。氏ははこのことを表現するために、この「連鎖劇」の手法を活用したわけである。

 詳しい説明は省くが、劇が半ばまで進むと、梶原の軍艦は舞台を駆け下りてそのまま劇場の出口へ向かう。すると舞台のスクリーンには、梶原が一言座を出発し、蓮華寺池、勝草橋、瀬戸川などの藤枝を象徴するスポットを疾走、徘徊するシーンが次々と映し出される。そしてこの連鎖劇の映像の最後では蓮華寺池のほとりで、いいなずけの美佐子さんが梶原を置き去りにして去って行く。取り残された梶原はその後姿を見送りながら「みさこさーん・みさこさーん」と絶叫するシーンで終わる。

 生身の梶原はこの後、再び会場の入り口から入場し、舞台へあがり、舞台劇は継続するという流れとなっている。私はこの連鎖劇映像(約六分)の間、弁士のナレーションのBGMとして「蓮華寺池の夏」と「勝草橋慕情」を弾き語りさせてをもらったわけである。

 果たしてこの試みが成功したかどうかの評価は分かれるところであろうが、観客の反応は上々で、「海軍カレー」のストーリーと、この「連鎖劇」の相性は、ぴたりとマッチしていたのではないかと思う。また、歌のよしあしは別として、「連鎖劇」のシーンに「蓮華寺池の夏」と「勝草橋慕情」というご当地ソングをBGMに添えるというアイデアも、郷土に根ざしたオリジナリティーの高いものとなったのではないかと自負している。

 下をごらんいただければわかるとおり、歌詞には蓮華寺池の自然や夏の風物詩を詠う印象鮮明な言葉がちりばめられており、少年時代特有の憧れの人への淡い追慕の情や、逝く夏を惜しむセンチメンタルな感情が盛り込まれた内容になっている。めったにないことだが、何人かから、とてもよい曲ですねという感想も頂き、気をよくしているところである。(youtubeで「蓮華寺池の夏」と検索してもらえればヒットするのでぜひお聞きいただきたい)



蓮華寺池の夏

作詞 八木洋行
補作詞・作曲 鈴木啓造

蓮の花が風に揺れて
蓮華寺池にこぼれて落ちた
黒い水鳥モグリッチョ
二人乗りボートのそばに顔出す
白いパラソルさした君が行けば
麦わら帽子の陰から見てた
ああ、また夏が過ぎて行く

チョウトンボが止まっている
蓮華寺池の葦の葉の先
黒い蝶のような羽根を広げて
ひと群らの風を待っているのか
黒いレースのベールをかぶった
君に似ているような気がしてた
ああ、また夏が過ぎて行く

今日は蓮華寺池の地蔵盆
池の端の櫓から呼び出しの声
池の水面に映るスターマイン
花火の音に君は驚いた
大輪菊一尺七寸は空へ
見上げる白い喉が眩しかった
ああ、また夏が過ぎてゆく
ああ、また夏が終わりを告げる

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# by fujiedabungakusya | 2015-04-02 05:56 | エッセー
平成27年 文学舎サロンへの誘い
郷土が生んだ作家、小川国夫、藤枝静男の作品を鑑賞し、批評を述べ合形式のサロン。
11月、3月は郷土文学に精通した講師をお呼びしての特別講義。
サロンマスターは藤枝文学舎ニュースの編集長で詩人の武士俣勝司氏。

●日時:第三木曜日 7:00-8:30
●場所:喫茶「葦」
●費用:コーヒーを飲む程度

●扱う作品(または講演内容)
5月14日 「ある熱意」(小川作品)
6月18日 「水と虫と山」(藤枝作品)
7月16日 「翔洋丸」(小川作品)
9月20日 「天女御座」(藤枝作品) 
10月15日 「伸子の体」(小川作品)
11月19日 「藤枝市史」(講師 村瀬隆彦氏)
1月21日 「六道の辻」(小川作品)
2月18日 「アナザギャング」(小川作品)
3月17日 「民話」(講師 八木洋行氏)

●お問合せ 090-6615-8400(武士俣)
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# by fujiedabungakusya | 2015-03-29 06:53 | お知らせ

第七回・逸民忌開催についてのご案内

作家・小川国夫が帰天してから7年、月日の経つのは早いものです。今年も交流のあった方々による小川国夫氏との思い出話や、八木洋行氏、鈴木啓造氏による小川国夫の歌、高校生による小川作品の朗読などを催し、小川国夫氏を偲ぶ記念の会・逸民忌にしたく思います。
 忙しいさなかとは存じますが、どうかお誘いあわせの上、ご参加くださいますようお願いいたします。

● 日時:平成27年4月12日(日)

午前10時30分~

<小川国夫を偲ぶ墓前祭>
・場所:島田市旗指の敬信寺
・内容
①八木洋行会長あいさつ
②献杯
③小川さんの思い出を語る(八木・澤本他)
④オカリナ演奏(小此木)
⑤参加者に小川国夫氏ゆかりの品を進呈(多い場合は抽選)


午後2時30分~
<第七回逸民忌>
・場所:藤枝市文学館脇の小川国夫文学碑前
・内容
①八木洋行会長挨拶
②権利知藤枝東高校生により小川国夫作品朗読
③小此木智秋さんによるオカリナ演奏
④八木洋行氏、鈴木啓造氏による小川国夫の歌
⑤小川国夫氏の思い出を語る
⑥参加生徒に記念品贈呈とインタビュー
⑦その他
(いずれも司会・進行 澤本)



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# by fujiedabungakusya | 2015-03-28 16:35 | お知らせ



藤枝文学舎主催の文学講演会
心の静寂(しじま)
―――「無常観」「禅」に通じるシェイクスピアの人間像
                     講師 又木克昌

 去る11月9日、藤枝文学舎主催の文学講演会が行われた。昨年は、シェイクスピア生誕400年ということで、県内屈指のシェイクスピアの研究家でもあり俳優、舞台演出家でもある又木克昌さんをお招きした。又木さんの講演は単なる講演というよりも、本場仕込みのシェイクスピア劇の披露に加えて、照明技術やパワーポイントを駆使した、いわゆるライブパフォーマンスであり、盛りだくさんな内容はわれわれ聴衆を深く魅了した。
 スペースの関係で、採録はこの講演の表題にかかわる部分のみとなったが、又木さんの迫真のライブパフォーマンスの模様は、youtube動画として藤枝文学舎のブログに掲載してあるので、ぜひごらん頂きたい。
(採録:鈴木啓造)

● 芝居は耳で聞くもの

(前略)やっと本題に入ります。資料を見ていただくと、シェイクスピアスの時代には「芝居は耳で聞くもの」と書いてありますね。芝居は普通、「観る」という言い方をしますが、シェイクスピアの時代は「聞く」だったのです。彼の作品の中のせりふにも、「明日、芝居を聞こう(We’ll hear a play tomorrow.)」という風にかかれています。
 なぜでしょうか?これは日本語に翻訳されてしまうとわかりません。というのは彼の作品のセリフのほとんどが、「弱強五歩格(iambic pentameter)」というものを使って書かれているからです。これは一行の中に「弱強」のリズムが五回繰り返されるセリフの構造です。たとえば、
If music be the food of love, play on.
 △ ▼ △ ▼ △  ▼ △  ▼  △ ▼  (△ 弱 ▼強)
というものです。シェイクスピアのセルフのリズムの基本はこれです。また、次のセリフも有名です。
O Romeo, Romeo, wherefore art thou Romeo?
To be, or not to be, that is the question.
というものもありますね。これらも多少、変形バージョンなのですが、基本的には「弱強五歩格(iambic pentameter)」のルールに従っています。
 また、次のように、逆に「強弱」のパターンで脚韻を踏んだものもあります。
 Double, double toil and trouble:
 Fire, burn; and, cauldron, bubble.
このようにシェイクスピアの劇は日本語に翻訳されたものだけでは、英語の聴覚的な味わいは出すことができません。シェイクスピアの劇は「聞く」ものであるというのは、このことなんです。日本語の翻訳では、このことはほぼ無視されます。何とかうまく、その辺のリズムを合わせて訳そうとした人もいますが、なかなか大変そうです。ですから、シェイクスピアの作品は英語で聞いて、日本語で意味を理解して鑑賞すると楽しめると思います。

● 「お気に召すまま」の世界観と禅

 「As you like it(お気に召すまま)」を例にとって説明します。この物語は森がテーマとなった作品です。森の中に公爵が逃げ込んで行きますが、なぜ逃げ込むかというと、この公爵には野心家の弟がおり、兄を追っ払って王国をのっとってしまう。おっとりしてお人よしな兄は「あっ、ええですわ」といって放浪の旅に出て、最終的に森に逃げ込んでしまう。そういうストーリーです。
 それで、なんと町の中にいる連中は、この兄を追ってみんな森に行ってしまう。この森の中で「As you like it」---つまり「お気に召すまま」の勝手な暮らしをする。誰一人として初志貫徹しているやつはいない、みんなええかげんなやつだったわけですが、それだからこそ幸せになれたという話です。自分の意思で何とかしようとはせずに、その場しのぎに、まあええわええわと暮らした人々の話なんです。
 この作品の中に、面白い歌があります。公爵は貴族の人々を集めて、動物を狩をしたり、野菜を集めたりしてその日暮らしを送っています。そこへ町から若い男が逃げてきます。この若者はおなかぺこぺこにすかして森の中へ入ってくる。公爵たちが楽しくみんなでメシを食っているところへやってきて、彼は剣を抜き「おい、おめえら食うんじゃない」と言って脅すんです。普通はここで、公爵たちも剣を持っていますから、剣を抜いて身構えますね。
 ところが公爵は「おお、若者よ、まあ、待て待て。ゆっくり話を聞こうじゃないか」と言うんです。集団的自衛権を発動しないんです(笑)。みんなで剣を抜けばすぐに勝てる相手ですが、そうはせずに「まあ、話を聞こうじゃないか」ということになる。公爵は若者の話を聞き「そうかそうか、お前、お腹が減ってるんだな。さあ、これを食え食え」と言って飯を食わせてやるんです。だいたい、こぶしを振り上げたほうは、相手もこぶしを振り上げた場合、そこではじめてカンガン喧嘩を始めるわけです。しかし、わっと剣を振り上げても、相手が何もしなかったら「あれっ?!」となって、剣をしまうことになりますね。公爵は剣で身構える代わりに、次の歌を歌います。

Under the greenwood tree/Who loves to lie with me, /And turn his merry note/Unto the sweet bird's throat, /Come hither, come hither, come hither: /Here shall he see No enemy/But winter and rough weather. /All together here
(緑したたる木の下で/ふたり一緒に寝そべりながら/小鳥の声に調子を合わせて/楽しい歌を歌いましょう/おいでよ ここにお出でなさいよ/ここには怖いものはない/冬の厳しい天気のほかは/だから一緒に暮らそうよ)
Who doth ambition shun/And loves to live i' the sun, /Seeking the food he eats/And pleased with what he gets, /Come hither, come hither, come hither:/Here shall he see No enemy/But winter and rough weather.
(つまらぬ見栄はかなぐり捨てて/太陽の光を浴びながら/野原の恵みを探し歩き/つつましく満ち足りましょう/おいでよ ここにお出でなさいよ/ここには怖いものはない/冬の厳しい天気のほかは)

この歌の二番の歌詞の中に
「Seeking the food he eats And pleased with what he gets」とありますが、「その日に必要な食べ物だけを探して、手に入ったものに満足する」という意味になりますが、私はこれを読むとすぐに思い出すことがあります。竜安寺の石庭のツクバイに書かれた言葉です。

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                 写真 1


この写真(写真1)を見てください。ここに何が書いてあるかわかるでしょうか?中央の口と言う字と組み合わせて、「吾、唯、足、知」という四つの文字が書かれているんです。「吾、ただ足るを知る」と読みます。これは禅の教えです。まさに、これと同じことを、シェイクスピアは四百年前に書いていたことになります。私は平和の原点はここにあるのかなと思っています。
 ここで僕は、別のことを思い出します。この写真(写真2)を見てください。これは井上有一という書家の書いた「貧」と言う文字です。僕はこの字が大好きです。何か絵みたいに見えませんか。金太郎の体操みたいにも見えますね。僕が最初にこの作品を見たときに何に見えたかと言うと、何かを両手でおなかの部分に抱え込んでいるように見えました。「これは俺のだから、お前に渡すものか」という風に見えたんです。このことがまさに「貧しい」ということなのかと思ったんです。この人は人間の精神的貧しさというものは何なのかということを追求していった人なんだと思います。

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               写真 2

 それで、この抱え込んだ精神状態をふっと解放した瞬間に、さっきの公爵のように開いた心で、「さあ、食いな食いな」となるのではないでしょうか。それともばっと剣を振り上げられたら、まるで集団的自衛権行使のようにこちらも身構えるという風になるのか、どっちもありだと思うのですが、シェイクスピアがこの森の生活の中で描いたのは、抱え込んだものをふっと手放す生き方でした。

● 「shall」にこめられた公爵の意思

 それで、先ほどの「Here shall he see No enemy」の「shall」という言葉について説明いたします。ターミネーターという映画で、「You shall die」というセリフが出てきます。これは「お前は死ぬだろう」という意味ですが、このセリフは「私(話者)の意志」で「お前は死ななければならない」というニュアンスが加わります。ですからただ「ここにでは彼は敵を見ないでしょう」という意味だけではなく、公爵の立場から、「人間同士は敵にさせないぞ」という強い意志がこめられた言葉になっているわけです。
 自然の脅威というのは、台風、地震、津波、噴火、洪水、竜巻などなどいっぱいあります。それらから人間は命を守ることが大事であって、「おめえら、人間同士で争っている場合じゃないぞ」というシェイクスピアの明確な主張が、この部分に表れていると僕は思います。このことは他ではあまり言われいません。少なくとも僕は一度も聞いたことがありません。この感覚をシェイクスピアはさっきの歌の中の「But winter and rough weather」の部分にこめていると思います。「この冬の厳しい天候以外は、敵にさせないからな」というトップとしての公爵の意気込みが伝わります。

● 「安住」とはどういうことか

 ここで思い出されるのは、鹿児島県にある上の原遺跡という縄文時代の遺跡のことです。9500年前の日本最古の集落があります。縄文時代は約一万年続きましたが、この一万年という感覚はわれわれにとって、すごく大事だなと思ったんです。たとえば一年と言う時間の長さを1ミリの長さと考えます。十年は1センチ、百年は10センチ。だからわれわれ人間の一生はせいぜい10センチ。だから千年で1メートル。この尺度で考えると、たとえば産業革命は30センチくらい。キリストが生まれたのが、ここから2メートル。だから縄文時代というのはドアの外の10メートルの地点です。
 そして、人間の暮らしが急速に変わったのは、産業革命の30センチの地点。さらに急激に変わったのは、つい最近です。この急激に変化したわれわれの暮らしは、縄文時代のように10メートルも続くんでしょうか?ところが、10メートル続いた文明が上の原遺跡として残っているんです。九州には同様の古墳がたくさんあります。西都原古墳群もその一つです。
 九州というところは火山の噴火がたびたび起こり、人々の営みが破壊されては再生された歴史が古代からずっとあります。西都原古墳博物館にはそうしたつぶれては再生された人間の歴史が展示してあります。僕はこの博物館を訪れたとき、館の中に次のような言葉が記されているのを見てすごく感動しました。

 安住と定住は異なるものである。
 定住はむしろ時に、人間そのものには安息を与えないこともあった。
 固定化された人間関係や日常の繰り返しは、
 一方では軋轢や閉塞感を生み出した。
 此処より何処かに、希望の大地が。
 としても、放浪の厳しさも心に留めておくべきだ。
 楽園は、心の中だ。

 つまり、定住することと、安住---つまり安らかに暮らすこととはまったく違うことなんだということです。われわれ人間は定住はできたけれども、果たして安住はできたんだろうかという問いかけなんです。そうか、安住というのは、心の中でどう安住するか、心がどこに落ち着くかと言うことや、それを求めることこそが大事なんだということを言っていると思ったんです。これは、まさしくシェイクスピアが「As you like it(お気に召すまま)」の中で描いた内容と一致しています。(後略)



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# by fujiedabungakusya | 2015-03-28 16:18 | 文学舎ニュースバックナンバー
国語入試問題に関する一提言
  ---小川国夫「入試問題」を読んで  鈴木啓造

1 はじめに

 文学舎ニュースの編集会議の席上で、次号の企画について話し合っているときに、小川国夫作品が教科書に採択されたり、試験問題に取り上げられたりしていることが話題に上った。

 教科書には指導書というものがあり、教師はそれを使って、指導の参考にするわけだが、小川作品の指導書の解説を見てみると、作者の意図と微妙にずれているのではないかという意見もあった。

 また、小川さんは、ご自身のエッセイ集『昼行燈ノート』の中で、「入試問題」という一文を書かれている。そこには、小川作品が出展となった試験問題を解いた受験生から突然電話がかかってきて、その質問の答えに困惑したときのエピソードがユーモラスに描かれており、作者本人でさえ答えに迷う選択肢があったり、自分はそういうつもりで書いてはいないことが正解になっていたりという内容になっている。

 現代国語の試験問題の「おかしさ」についての指摘は、小川さんだけではなく、これまでもいろいろな場面で問題になってきた。その代表例が、パスティーシュ文学の作家・清水義範による「国語入試問題必勝法」である。この作品は、この問題を正面からモチーフにしたもので、国語入試問題の「おかしさ」を徹底的に戯画化している。

 いま一つの例は、平成二十三年度のセンター試験の現代文の試験で起きたアクシデントである。評論家・小林秀雄による「鍔(つば)」という評論文が出題されたのだが、これが受験生には難解過ぎて、国語の平均点を大きく下げてしまい、出題の妥当性を問われた例である。

 ここでは、小川さんのエッセイを紹介しつつ、上記二例に触れながら、いわゆる小川作品のような「純文学」や小林作品のようなマニアックで難解な評論文が試験問題として果たして妥当なものかどうかを検討し、国語教育のありかたや、達成度や能力測定としての国語試験問題はどうあるべきかの私見を述べてみたい。

2 小川国夫の困惑

 エッセイ集『昼行燈ノート』に収録された「入試問題」を長くなるが全文を引用してみる。

   入試問題    小川国夫

 東京で学生だった私は<動員時代>という短編を書きました。作文のような素朴な作品です。田舎の中学生だったころの自分を回想して、おおよそありのままに書いただけです。 ある時私の部屋に電話がかかりました。浦和に住んでいる受験生からでした。自分は大学への受験準備をしているものですが、今夜ラジオの講座であなたの<動員時代>を勉強しました。今終ったところですが、どうも講師の説明に納得の行かない箇所があります。それで、あなたに直接お電話して、ご意見を聞いてみたくなりました、と言うのです。
 彼が納得が行かなかったのは、次のような質問についてでした。<それで、主任の、そんな風では一高へあがれるような内申はとても書いてやれない、という言葉は私に問題だった。この蒼白い、天の門へ上るすべがなくなれば、軍人、すなわち怒号と動物精気の中で(  )以外にない>というくだりの、(  )の部分をどのようなフレーズで埋めたらいいかという質問についてでした。
 講師は<途方にくれる>が正解だと教え、その理由を説明しました。しかし、必ずしも講師の言う通りでなくていいような気がするのですが・・・・、と受験生は言い、いくつか例示されていた選択肢を読みあげました。
 とっさのことでもあり、私も混乱気味だったのですが、この場合、原文と一致すればいい、としか考えようがないのではないかと思い、原文を確認しました。するとそこは<抽象され、抹殺される>と書いてありました。それを告げますと、受験生は、自分もそのほうが正解ではないかと思ったのです、と満足げでした。
 これで電話の用件は終った、と私は思いました。ところが受験生は、勢いづいたのか、更に言うのです。
 あなたの<動員時代>に関して他にも設問が四つあります。今からそれを読みあげますからメモなさって、それから本を睨みながら、考えてみてください。
 私は応えました。それをやっていたら、四、五十分はかかってしまうだろう、君、電話料がかさむよ。すると彼は、親父が払うんですから、ご心配なく、と言うのです。
 こうして、浦和の受験生との長いやりとりが始まったのです。終りに漕ぎつけますと、ラジオの講師が示した正解のリストにのっとって、私の出した答えを点検してくれました。正解が七割を越えているとのことでした。これは受験の解答としては、相当の出来栄えで、しばらくこの向きの勉強をしても、なかなかこれ程には行かない、と私を褒めるのです。
 私が間違えてしまった問題に、<この短編の主人公の性格>があります。ここにも選択肢があって、<大胆でかつ思慮深い性格>などと五つばかり例示されているのです。いずれを取るにしろ、先述したように、この作品はおおよそありのままの体験を書いたものですし、主人公の考えかたは私自身のそれと同じなのですから、私は私の性格を自問していることになってしまうのです。妙な気分でした。それで、できるだけ客観的にと心がけながら、<いろいろ考えたあげく、なぜか自分にも意外な行動をとってしまう性格>という例を選択しました。しかし、やはり欲目が働いていたのでしょうか、正解は<小心で虚栄心が強い性格>だったのです。


 このエッセイの趣旨をまとめてみると、おおよそつぎのようになる。

①あるとき、小川さんのもとに突然、見ず知らずの受験生から電話がかかってきた。小川作品「動員時代」が出典となった試験問題の答とラジオ講座の講師の解説に納得がいかず、直接作者に問いただす内容の電話であった。
②「動員時代」は初期の素朴で平易な作品であったが、とっさのことで設問に対する答えがわからず、原文を確かめたところ、模範解答のほうが間違えていたことがわかった。
(本当は「抽象され、抹殺される」なのに、模範解答は「途方にくれる」となっていた)
③小川さんは受験生に他の四つの設問も答えさせられることになり、七割を超えて正解したので、なかなかそういう人はいないと褒められることになった。
④間違えてしまった問題に「この短編の主人公(小川さん自身)の性格」を問う設問があり、小川さんは自分自身のことなので間違うはずもないと思われた選択肢の中から「いろいろ考えたあげく、なぜか自分にも意外な行動をとってしまう性格」という「間違った」ものを選んでしまう。(正解は「小心で虚栄心が強い性格」)

 なぜ、こういうことが起こってしまうのか?数学をはじめとする他の教科の答えは、正解はただ一つだけであり、仮に答えが複数あったり、どっちともつかなかったりするような場合は、設問自体がおかしいということになる。ましてや、作者にまで質問の電話がかかってくることなどはまず起こりえないことなのに、現代国語、とりわけ文学的文章の読解問題については、よくこういうことが起こりがちなのはなぜなのだろうか?そもそも、作者にさえ「正解」が容易にわからないような問題は、いたずらに受験生にストレスを与えるものでしかなく、試験問題として(とりわけ、受験生の将来を左右する入試問題において)不適切なのではなかろうか?という問題は検討に値すると思われる。

3、清水義範『国語入試問題必勝法』について

 これらの問題を検討する前に、この国語入試問題の「おかしさ」を正面からモチーフにした「国語入試問題必勝法」というパロディ小説(パスティーシュ)の内容を紹介したい。この作品は、作家・清水義範が1987年に発表した短編小説で、同年に講談社から出版された短編集『国語入試問題必勝法』(表題作を含む)で第9回吉川英治文学新人賞を受賞した。

 内容は、国語が不得意な受験生の浅香一郎(あさかいちろう)に、家庭教師の月坂(つきさか)が、現代文の問題の解き方を教えるという物語である。
この小説で述べられた「必勝法」の概要は以下の通り。

●大、小、展、外、誤
「内容に最も近いもの」を4つないしは5つの選択肢から選ばせる問題を解くための方法。選択肢は、本文に書かれてある内容を一般論に拡大したもの(大)、本文の一部だけをとったもの(小)、本文の論理を展開したもの(展)、本文の内容と少しずれているもの(外)、単純に間違っているもの(誤)から成り、正解は「外」にあるというもの。
●長短除外の法則
問題文を読まずに正解を見つけるための第一の方法。選択肢のうち、文章が一番長いもの、一番短いものは正解ではない(ため、除外してよい)。
●正論除外の法則
第二の方法。正論のようなものが書かれている選択肢ははずしてよい。


 この作品中で月坂が述べる上記の解法について、清水自身は他所で、「虚構」であるとも「出鱈目必勝法」だとも述べているが、後日、1988年度大学共通一次試験の「現代文」において、この方法の中の「長短除外の法則」を適用してみたところ、十一問中の八問に当てはまることを確認したとのことである。限られた時間内に答えを出さなければならない場合などには、この方法はかなり有効だと思われ、受験生にはお奨めのテクニックである。

 この作品は、あくまでも国語入試問題における難問および珍問奇問に戸惑う受験生を題材に、それを笑い飛ばす内容のパロディ小説であるものの、試験問題を作成する側の意図や舞台裏に着目してみると、従来の国語試験そのものの持つ「おかしさ」の本質を見事についている作品であることが見えてくる。

 出題者の心理としては、一見して答えが明らかな選択肢は作りたくないはずであり、発想はおのずと問題文それ自体の中や、選択肢の中に難易度調整のための「仕掛け」を施すことになる。家庭教師の月坂は、この「仕掛け」の舞台裏を暴き、生徒の一郎に問題文を読まなくても正解できるテクニックを伝授したのである。その「仕掛け」のもつ魑魅魍魎性を清水義範は分析し体系化し戯画化して、前述のような笑いの文学に仕立て上げたわけである。

4、小林秀雄事件

 もう一つの難易度調節の手段として考えられるのは、難解な文章を出典とすることである。マニアックな文学志向の問題作成者の食指を動かすのは、読解には高度な文学的な素養や感受性が必要とされる作品である。それは例えば暗示や飛躍に満ちた小川作品のような「純文学」であったり、衒学的なレトリックに満ちた小林秀雄作品のような文芸評論であったりする。この志向が先に紹介した、センター試験における「小林秀雄事件」を引き起こしたことになる。

 この「事件」について、たとえば、『秘伝 大学受験の国語力』(新潮選書)などの著書がある早稲田大学の石原千秋教授(日本近代文学)は、産経新聞に次のようなコメントを寄せている。

今年の大学入試センター試験の現代文には、小林秀雄の随筆が出題された。問題を見て、妙な思想を持った素人が作ったことがすぐに分かった。平均点がかなり下がったそうだが、その理由は一目瞭然である。(中略)
小林秀雄の文章にはある種の型があって、「学問」や「現代」を否定しながら、その時代の実用性が美を鍛えたという結論に至るのである。
出題された文章も、刀の鐔が美しさを持ったのは美についての思想があったからではなく、実用性の中から自然に生み出されたものだと言っている。ただし、いかなる根拠が示されるわけでもなく、そういう文章の型があるだけだ。その型を知っていれば、設問は難しいものではなかった。しかし、根拠のない文章は好みの押しつけにすぎない。
大学の入試問題には二つの意義があるはずだ。一つは、高校までの学習が身についているかを確かめること。もう一つは、大学に入学してから研究ができる能力があるかを確かめること。
今回の問題は、いずれの観点からしても失格である。高校の国語にはこの手の文章は収録されていないし、大学に入学してからこの手の文章を書いたのでは研究にはならない。事実を示した実証にせよ論理的な実証にせよ、ある種の根拠を示されなければ、研究として議論さえできない。大学は好きか嫌いかを押しつけ合う場ではない。(中略)
そもそも、問題文の選定がまちがっている。注が21。これだけ注をつけなければならない文章を選ぶべきではない。しかも、はじめの一字「鐔」にいきなり注がついているのだ。
ということは、出題者はテーマとなっている「鐔」を受験生が知らない可能性があると認識しながら、問題文を選んだことになる。受験生が知らないかもしれないものについて書いた文章を解かせようとしたのだ。非常識である。(後略)


 私も石原氏の指摘には全面的に賛成である。出題者のマニアックな文学趣味を押しつけられた受験生は、自分の人生を左右することになるセンター試験の場で、さぞかし戸惑ったことだろう。

5、まとめ

 私は国語教育の専門家ではないが、長年、学習塾や進学予備校において受験指導に携わってきた。その現場でたびたび耳にするのは、「現代国語の勉強法がわからない」という悩みである。私は生徒たちのこうした悩みを聞くたびに、「やはり読解問題を解く実力は、一朝一夕にはつくものではないので、普段からたくさん読書をすることだ」とか、もっと無責任に「国語は勉強しても点数が上がらないから、他の科目で点数を稼ぐことを考えたら?」とか答えてきた。

 しかし、前述してきたように、いわゆる「文学的文章」が試験問題として用いられること自体が問題の根本にあるのではないかと考えるようになった。出題者の趣味や恣意性に大きく左右される「文学的文章」による出題によって生徒たちの「国語力」は測られるべきではないと思うようになったのである。

 極論に聞こえるかもしれないが、また私のごとき門外漢がこの問題に言及することは僭越に過ぎるが、私は現在の「国語」という科目を、「日本語」と「文学」に二分割するという解決策を提案したい。言い換えると「国語」から「文学的文章」を排除し、音楽とか美術と同等の独立したひとつの芸術科目にすべしという案である。

 「日本語」においては、日常生活やさまざまなビジネスの局面で必要不可欠と思われる実用的、科学的、論理的な文章作成術や読解術を学ぶ教育内容とする一方、「文学」においては、古今東西の文学作品を通じて人間感情の豊かさや深さを味わい、人生の意義や真実に触れるという教育内容に特化するべきであるという考えである。

 平明で、過不足のない理路整然とした内容が要求される「日本語」における文章と、多義性、曖昧性、主観的解釈が許容され、暗示、飛躍、省略、ぼかしなどのテクニックが多用され、不合理や無意識の世界がよくモチーフとされる「文学」における文章は、それぞれ全く違った原理で作成されることを明確に意識し区別すべきであるという意見である。この二つは、似て非なるものであり、鋭い区分をつけることによって初めて、先述したような受験生の戸惑いや苦悩も解消できるように思われるし、小川さんの味わったような文学者の困惑も生じえなくなるはずである。

 試験問題もおのずとそれぞれの目的に沿って作成されることになる。ちょうど音楽や美術の才能や能力の測定が主に「実技」でなされるように、芸術科目である「文学」は答えをひとつに限定しようとする現行のようなペーパーテストには不向きな科目ということになる。

 ここまで書いてきて小川さんがある講演の中で話しておられたことが思い出された。そもそも文学というものは、「学校制度」や「試験制度」といったものから逸脱してしまうものなのであるという趣旨のことをおっしゃっていたのだ。小川さんは、文学は「課外授業」で行うもので、優等生がやるものではなくて落伍者(異端者)が親しむもの(取り憑かれるもの)と考えておられたようである。

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# by fujiedabungakusya | 2014-11-05 07:23 | エッセー
藤枝文学舎会長の八木洋行氏が、藤枝市烏帽子山に初めて登った。
烏帽子山は、小説家・­小川国夫が幼いころから愛した山だった。
八木氏は小川国夫と烏帽子山のかかわりを語る­とともに、
その眺望の素晴らしさや、地域の人々にとって
この山がどのような意味を持っ­てきたのかを語った。


八木洋行氏所蔵 烏帽子山山頂に立つ小川国夫
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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 06:09 | 文学舎関連動画

藤枝文学舎 秋の文学散歩 お詫びと再びのご案内

先の号でご案内しました1泊2日の文学散歩が、諸般の事情で日帰りツアーとなりました。早々にお申込いただいた皆様には、誠に申し訳ありませんが、下記のような日程になりましたので、よろしくお願い致します。この日程でご都合が悪くなられた方は、申し訳ありませんが、改めて下記、鈴木まで連絡下さい。

日 程 9月14日(日)午前7時出発
参加費 9,000円(交通費・保険・資料・昼食代)
申し込み・問い合わせ 電話 054(638)4335 鈴木宅
定員20名《申込受付締め切り 8月31日》

【行程】

藤枝市文学館(AM7:00)―静岡駅南口スルガ銀行前―朝霧高原道の駅―
武田神社「躑躅ヶ崎館」―〔昼食〕甲府市銀座江戸屋(12:10~13:00)―
甲斐善光寺―雲峰寺―マンズワイン勝沼ワイナリー―勝沼IC―朝霧高原道の駅―
静岡駅南口(20:20頃)―藤枝文学館(20:50頃)

(注)お車で藤枝市文学館まで来られる方へ

蓮華寺池公園駐車場が午後9時で閉鎖されます。もし帰り時間が少しでも遅れることがあった場合、出庫できなくなりますので、駐車場は、喫茶「葦」の駐車場をご利用下さい。
駐車台数に限りがありますので、ご利用になられる場合は参加申込時にお知らせ下さい。
 以上、よろしくお願い致します。
                            藤枝文学舎事務局 


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 06:03 | お知らせ

「石の夢」~「逸民」まで

澤本 「石の夢」はどうでしょうか? 今、藤枝市文学館では《「石の夢」と石彫家杉村孝の世界》の展覧会が開催されていますが、小川作品の「石の夢」は杉村孝さんをモデルにした作品と言われています。この作品は「相良油田」より十年近く後に書かれたもので、昭和五十一年に「群像」に発表されました。私は、この作品に出てくる入門志願者の石黒文司という人物は、ひょっとしたら八木さんじゃあないかと思っているんですが。八木さんは、先ほどもおっしゃいましたように、杉村さんのところで働いた経験があるということで。

八木 杉村さんはもう当時から臼井さんのお住まいになっている滝の谷の入口に工房を持っていて、そこでお仕事をされていました。僕が瀬戸谷街道の馬頭観音を撮っていて、これを山と海を繋ぐ街道の馬頭観音を写真と文章に書きたいなと思っていました。そのことで、石彫家の杉村さんはそういう田舎道の石仏をどういう風に見つめているのかと思って滝の谷の工房を訪ねたわけです。すると杉村さんはちょうどその頃、子供を亡くした親が供養のために、お地蔵さんを納める寺が秩父の方にあって、杉村さんはその秩父のお寺からお地蔵さんの仕事を一手に受けていたんです。それで月に何体かをコンスタントに作らなければいけないので人手が足らず「お前、粗彫りを手伝えないか」ということになってお手伝いすることになってしまいました。素材の石は伊豆石と呼ぶ凝灰岩で、これを粗彫りする仕事です。おおまかに石を彫るのです。ところがその凝灰岩が雨で水を吸って、冬の冷気で凍ってしまい、ばらばらと崩れてしまった。それで杉村さんはその仕事をなくしてしまう。で、「お前も悪いが辞めてくれ」ということになった。でもそれでよかったんですね。あのまま行っていたら、僕は今頃石仏彫り師だったかもしれない。(笑)そんな時に、丁度臼井さんが工房の前を通られて「おー、若いのが入ったってな­。どうだ」とかおっしゃったのがきっかけで、臼井さんとおつきあいを始めさせていただきました。それで、杉村さんは「太衛さん、悪いけぇが、この若い衆をそっちで預かってくれんかえぇ」ということになり、今度は臼井さんのところで農業の見習い青年になった、というわけです。

澤本 今度の藤枝市文学館の展示で、杉村さん制作の「男の首」という、大きな顔だけの作品があります。元は小川さんの家の裏庭の竹薮の下に置かれていたんですが、今度、市の方へ寄贈され、文学館内に展示されています。その作品を見ていると、杉村さんよりも、小川さんの顔に似ていると思うのですが。

八木 あれはいつ頃の作品なんですかね?

澤本 昭和四十五年頃だと思います。大手に工房があった頃です。
八木 だから、小川さんとはまだ出会っていない頃だと思いますよ。

澤本 江代さん、どうですか?

江代 小川さんの作品と、杉村さんの石彫が重なって見えるんですが、話の内容というのは、ちょっと深刻なんですね。お兄さんがいて、自殺しちゃうんですけど、夢の中でお兄さんの作品に綱をひっかけてその石を背負って弟の時雄がバイクで運んでゆく。北山というところへ向うんですね。途中、兄貴の別の作品を背負ってやってくる文司と同行するはめになる。そのあと、時雄が下ろした石の作品が綱を解かれるといざって行って崖から落ちてしまう。そういう場面が来る。最後の所で小川さんは言っているのです。「実際と夢では、つじつまが合わないこともあった。しかし、俺は見た。兄貴の作品は、岩にぶつかりながら、まるでバッタみたいにそっちへ跳んでいったのだ。陽の光がしみこんでいる水底に割れた作品は静まり返っていた。いわば命が奪われる瞬間がそこに凝っていた。丸裸にされ、行き所がなく踊っている命が感じられる。しかもそれは石だった。一番石らしい石だった。あれを俺は創ることができるだろうか」   

小川さんは、とても大事なことをここで言っていると思います。どう説明していいかわからないのですが「割れた石が一番石らしい石だ。あれを俺は創ることができるだろうか」と言っているんです。生命のことでしょう。何かを創る人にとっては、大事なことが書かれていると思います。

澤本 それでは「逸民」にいきたいと思います。「逸民」は賞嫌いの小川さんにとって初の文学賞、川端康成文学賞受賞作品だったのですが、これは小川さんの蓮華寺池周辺の散歩の途次での体験とか見聞を素地とした作品です。「身辺小説」といってもいいかもしれません。登場人物として、年配の堤肇とかマラソンの練習者河北由太郎をかの人物が出てきます。それで池のほとりには鵞鳥の群がいて、その鵞鳥がある日、何者かによって殺されてしまう。実際、小川さんは一羽の鵞鳥が死んでいるのを見かけたそうですが、そこから創作の発想が湧いたといわれています。私はこの小説で鵞鳥と睨み合った青年は八木さんではないかと思っているんです。八木さんは鵞鳥の写真を撮っていますよね。あれは昭和五十八年頃でしょうか?

八木 小川先生がその作品を発表する前です。僕は「F町シリーズ」という写真を撮っていたんですが、その中の一枚です。あの鵞鳥は人の後を追いかけて突きに来るんです。しょうがないので、何度か蹴飛ばそうとするんですが、逃げ方がとてもうまい。こっちは空振りをしてしまい、尻餅をついてヤッキリしたことがあります(笑)。それである日、小川先生が蓮華寺池を散歩しているのに出会ったことがありまして、いつもは、池の周りをぐるっと廻るのに、その時は何故か蓮華寺山の途中で会ったんです。途中で止めて引き返してきた、とおっしゃっていた。だから「逸民」を読んだ時、ああ、こういう構想を描いたのかなあと思いました。

澤本 江代さんどうですか?

江代 小説には名称は出てきませんが、それが「蓮華寺池」ということはすぐ判ります。私としては物語の場所としてすごくしっくりくるんですね。そこで小川さんとは、たった二度ばかり出会いました。あの場所に似合う人ですよ。写真でも見ましたが、あそこにいる小川さんが僕は好きです。

八木 歩いている人はみんなあの鵞鳥に追いかけられたと思いますよ。小川さんも追いかけられたんでしょうね。羽が無いような鵞鳥が何羽かいましたが、あれ、いつの間にか居なくなってしまいましたね。あれ誰か殺しちゃったのかなぁ? あれじゃあ殺されてもおかしくなかったね(笑)。

澤本 まあ、猫か犬にやられたのかもしれないけど。野良猫もあそこにたくさんいますからね。まあ、鵞鳥の行方は判りませんが、とにかく、小川さんは一羽だけが死んでいるのを目撃し、そこから「逸民」の発想が広がり作品が生まれたようです。その小説の登場人物の一人、そのモデルが八木さんだと思ったのです。

八木 う~ん、どうかなぁ……。

澤本 最後になりましたが「止島」について語っていただきます。これは晩年の作品として私は挙げさせてもらいましたが、平成十八年「群像」に発表された作品です。ちょうどこの会場となっている藤枝市文学館がオープンした年です。この小説は小川さんが昭和七年、四、五歳の頃に疫痢に罹って志太中学(現・藤枝東高校)の西側にあった避病院に入院したときの体験を素地として生まれた作品です。登場するのは弥一郎、そして鳥海惣五さん、おこうと若旦那とか、いろいろ出てくるんですが、八木さん、この「止島」という意味ありげな題名なんですが、民俗学的な見地から何か意味があるんでしょうか?

八木 わかりませんね……。

澤本 用宗の大崩海岸について書いた作品の中にもこの「止島」という言葉がちょっと出てきます。私が思うに、「踏み込んではいけない場所」「危険な場所」といった意味があるのかもしれませんが、僕はいつもこの「止島」というタイトルが気に掛っています。すごい題名をつけるものだなあと思っているのですが。
八木 そうですね、たしかに。今気が付いたんですが、小川さんのお母さんのお在所の方には、天竜川の川原を拓いた田んぼ中の川原石を集めて積んだ島を「田島」と呼ぶんです。その田島の中には、伝染病で亡くなった人を火葬する焼き場だった所もあったんです。そういうことも、題名の「止島」と関わるかも知れませんね。

澤本 この小川さんの題名「止島」について江代さんはどう思われますか?

江代 ううん、うまく言えませんが。

澤本 江代さんの詩集の場合、題名についてはかなり考え抜かれるのではないかと思うのですが、自分自身の作品の題名の付け方については、何か思いとかあるんでしょうか?

江代 そうですね、たとえば一篇の詩を書いて、さあ、題名をどうしようかと考えたところで、あまり成功したためしはありません。題名ではなくて、こういう言葉があるなあ、今はこの言葉だけで、ほかに言い様もない、文にもならないけど、この言葉がある、とメモしていたりすると、ああ、この詩にはこの言葉が出会うんだということで、題名にもってきたりします。でもの「止島」というのは八木さんが言われたように……。ええっと、孫の弥一郎がまだ幼稚園の時とき、疫痢に罹るんですが、おじいちゃんとおばあちゃんが寂しいもんだから母屋の裏の家に弥一郎を連れてきて、そこでいろいろ食事なんかさせる。それで弥一郎は疫痢になってしまう。最後はこの弥一郎の面倒を見ていたおばあちゃんとおじいちゃんの死までを書いている。その書き方がじつに自然です。ただそれだけの書き方です。ここまで書けるのかと思います。

澤本 小川さんがこの作品を、晩年に書いた意図を感じることがありますか?

八木 お母さんが亡くなったという、そういうきっかけもあったと思います。それと僕は『止島』の中で、「…幼かった私もテもなく、父の熱に捲きこまれたのです。」という文章がありますが、父親と向き合っている小川さんが透けて見えてきて、なにかジンときますね。向うへ逝ってしまった人達の声が、ある限られた時空間に響いているように感じました。いいですねぇ。江代さんどうですか?

江代 私は小川さんに、妙な言い方になりますけど、「持続的な信仰」とはどういうものかと問うたことがあります。彼は答えませんでした。それから私が受洗するずっと前、入信について問いかけたことがありました。彼はやはり答えませんでした。彼はただ聞いてくれました。問いかけの言葉を受け入れてくれました。

八木 キリスト教に帰依している作家ということですが、僕もカトリックの幼稚園(藤枝の聖母幼稚園)に行きました。あそこに昔あったチャペルは、聖歌を歌ったりすると天井に響いて、何者かが降りてくるような感じがする。そういう空間が演出されていた。そういうものが小川文学にもある気がしていました。江代さんの作品にもそういうものがある。だから自分の暮らしや時間の中に、何か宗教的な空間を持った人は、作品にも影響があるんだなと思っています。でも、誰も小川文学をチャペル論から論じていない。教会の構造性によって、サウンドが上へ下へと反響したり、天使の歌声が上から降りてくるといったことが、完全に演出されている。だからそういう視点で小川文学の舞台を想定するべきじゃないでしょうか? 空想的なもの、天空的なものが小川さんにとっては日常的なものだったんだと思います。それを誰も何で言わないのかな、と思います。


小川作品の魅力を若い世代に!!

澤本 チャペル論とは新鮮です。では、最後になりますが、作家の車谷長吉さんによれば、文学作品の中で千年後も残るのは小川文学だ、ということですが、千年とまで言わなくても、百年後にも小川文学は若い世代に読み継がれて欲しい、という意味で、小川文学の啓蒙について何かよい方法がありましたら、まず八木さんから何か一言お願いしたいと思いますが……。

八木 僕は文学碑なんか要らないと言って来た。その代わり、学校へは小川さんの本を入れてくれと言いました。少なくとも、中学からは読める筈だから、中学校、高校に全部作品を寄贈する。これをやるのがいいと思っていた。でも、それは反対されました。文学碑を見て、文学に目覚め、その人の作品を読んでみたいと言う人はいません(笑)。そんなことを言うと、それを創られた杉村さんに怒られるかもしれませんが、僕はだいたい文学碑というものはおかしいと思っているんです。藤枝さんも、文学碑など要らないと言っていました。だから、そういうもので啓蒙するのではなくて、やっぱり作品を直接読んでもらう機械を増やす、そういうことが大事ですね。

澤本 もし、若い世代に読ませたい作品があれば紹介して下さい。

八木 僕は小川先生の所へ臼井さんに連れて行ってもらった時には『アポロンの島』は読んでなかったんです。その時『海からの光』を頂いたから、小川文学へ入ることができたのかもしれない。いきなり『アポロンの島』では、今の若い衆は読まないんじゃないかな。

澤本 そうですねぇ、僕は『生のさ中に』から入っていきました。

八木 いい本を最初に渡してもらったと思いますねぇ。

江代 僕も『生のさ中に』からです。僕は、短編集を読んでみるといいと思います。そうすると小川文学の持っているいろんな魅力をほんの数ページのうちに味わえると思います。

澤本 短編集はいいですねぇ。今お話いただいたことを、今後の文学舎の活動に活かしていくよう努力します。


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 05:59 | 文学舎ニュースバックナンバー

6号1993年5月26日発行 表紙 書 櫻井琴風

藤枝静男氏死去 事務局
本多秋五・埴谷雄高・小川国夫各氏が弔辞 編集部
藤枝先生のこと(随筆) 江﨑 武男
海道文学の視座 その4 長楽寺と今川義元 八木 洋行
ー小川国夫氏講演ー 「郷土の高校生に」 文責・嶋田
藤枝文学舎を育てる会 総会報告 事務局
文学舎資料収集費に15,00万円 市予算に計上  〃
研究部会 3月「主婦の自立」金木久喜 鈴木 貞子
発掘 藤枝静男氏自筆年譜 編集部
郷土の本 杉山恵一著『藤枝物語』・『続・藤枝物語』 増田 仁美
  〃  岩崎芳生著『橋の眺め』 曽根 一章
育てる会入会のご案内 事務局


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 05:49 | 文学舎ニュースバックナンバー

5号1993年1月25日発行  表紙 絵 前田守一

年頭にあたって 櫻井 琴風
小川国夫・司修文芸対談「悲しみの港」完結記念 文責・嶋田
「藤枝文学舎を育てる会」地域文化活動奨励賞受賞 事務局
月の沙漠(随筆) 小林 治助
加藤まさを展にて(随筆) 成宮ひろみ
特別寄稿 その思慕は淡いか(随筆) 前田 守一
特別寄稿 『枯 木』-小川国夫の出発ー(随筆) 大里恭三郎
発掘   『幻 燈』 (小野庵保蔵著) 編集部
小野庵さんのこと(随筆) 西  敏子
郷土の本 曽根元子著『青地雄太郎の生涯』 八木 愛子
  〃  曽根一章著『塩津海岸通り』 岩崎 芳生
  〃  時田鉦平著『茶商の読んだ茶経評釋』 臼井 太衛
  〃  櫻井琴風著『題跋考』 臼井 太衛
  〃  藤田三郎著『平成壬申雑唱』 臼井 太衛
研究部会の動き 事務局


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 05:45 | 文学舎ニュースバックナンバー

4号 1992年9月25日発行 表紙 絵 江崎武男

小川国夫・司修文芸対談開催を企画 事務局
市との定期協議実現  〃
司修氏来藤 挿画展を快諾  〃
兄 藤枝静男を語る その2(随筆) 勝見 菊
名作の舞台に案内標示を 事務局
美術随想 ポスター考 金木 久喜
特別寄稿 言葉と酒(随筆) 鈴木六林男
海道文学への視界 沖六鵬「坂下の地蔵堂」 八木 洋行
永遠のデラシネ(随筆) 竹内 凱子
若山牧水の思い出(随筆) 櫻井 淑
郷土の本  佐野つとむ文・八木洋行写真「手仕事2」 編集部
文芸雑誌「河口」・「水藍」・「河南文学」  〃
研究部会の動き 事務局
小川氏の限定本・自筆原稿152冊寄贈(井上君子様)  〃


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 05:40 | 文学舎ニュースバックナンバー

3号 1992年5月1日発行 表紙 小川国夫氏揮毫色紙

小川国夫氏「わが故郷」と題して講演 事務局
藤枝文学舎を育てる会 総会報告  〃
兄、藤枝静男を語る その一    勝見 菊
藤枝静男の美術随想 そして藤枝美術協会 青木 鐵夫
海道文学への視座 その三 藤枝静男とペニシリン 八木 洋行
掌上の思い(随筆) 勝呂  奏
ショートエッセイ「短信」 臼井 太衛
野の道 その一 (随筆) 桜井  淑
埋もれた宝石の発掘に… 小宮山 遠
市へ要望書提出 澤本 行央
小川国夫と俳人田中波月 田中  陽
郷土の本 永田昌輝著『奇妙な無想家』 成宮ひろみ
  〃   藤枝百年の歴史を綴る『聖アンナ教会百年史』 澤本 行央
  〃   高桑清而句集『黍嵐』 岡本 菊絵
小川国夫のTVC事始め 八木 洋行
小川国夫氏・司修氏 文芸対談 文責・嶋田
発掘コーナー 「報国」(旧志太中)第15号 編集部
研究部会発足のおしらせ  〃


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 05:35 | 文学舎ニュースバックナンバー

2号 1992年1月22日発行 表紙 絵 前田守一

市民らの基金一千万円を「育てる会」が寄託 会長 櫻井琴風
小川国夫氏「悲しみの港」を朝日新聞に連載中 編集部
井上君子さん、小川資料を藤枝文学舎へ寄贈 事務局
沼津牧水館の思い出(随筆) 上田 治史
藤枝文学舎を育てる会 会則 事務局
海道文学への視座 その2 藤枝静男と〈連鎖劇〉 八木 洋行
人畜無害の人(随筆) 中野みね子
大阪芸大での小川国夫氏(随筆) 古川 峰子
藤枝文学舎“礎”基金者ご芳名(第二期) 事務局
藤枝文学者を育てる会総会と講演ご案内  〃
伊豆の文学館調査研究 報告 臼井 太衛
中身の充実こそ一番の課題! 事務局


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 05:34 | 文学舎ニュースバックナンバー

創刊号 1991年8月1日発行 表紙 絵 江崎武男

藤枝市 文学舎施設整備基金条例を可決 事務局
小川国夫氏、少年時代を語る(インタヴュー) 文責 嶋田
五島エミ シャンソンの夕べ 編集部
大成功の“礎”チャリティー展 事務局
小川国との出会い(随筆) 岩﨑 豊市
阿部昭のこと(随筆) 佐野  明
海道文学への視座 その1 藤枝静男と〈新地〉 八木 洋行
藤枝文学舎礎基金者ご芳名 事務局
藤枝文学舎を育てる会“礎”基金発起人名簿   


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# by fujiedabungakusya | 2014-08-20 05:32 | 文学舎ニュースバックナンバー

小説家・藤枝静男の第21回雄老忌

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私小説の世界で得意な文学世界を構築した小説家・藤枝静男の第21回雄老忌(命名・作家小川国夫)が4月20日、菩提寺(11時から)と藤枝静男文学碑前(12時から)で開催された。五十海にある菩提寺には文学ファン13名が集い、墓前に花を手向け、献杯の後藤枝静男との思い出をそれぞれ語り、往時を偲んだ。

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続いて、蓮華寺公園内、藤枝市文学館東側にある藤枝静男文学碑前に場所を移し、藤枝作品<一家団欒>のごとく一同団欒しながら往時の藤枝静男文学や人となりを語り合った。会は八木洋行会長のあいさつ、澤本行央事務局長の司会進行のもとに進んだが、昼過ぎになると残念ながら雨が降り出したため、急遽解散となった。

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雄老忌は藤枝文学を知らない人でも参加できる会です。楽しい会ですので来年はぜひ参加してほしいと思います。今年も、藤枝静男と古くから交流のあった詩人の臼井太衛さんから筍などの差し入れがありました。

平成27年度は4月19日(日曜日)午前11時を予定しています。


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# by fujiedabungakusya | 2014-05-20 06:02 | お知らせ

小川国夫墓前祭・第6回逸民忌を開催

平成26年4月13日(日曜日)、小川国夫の墓前祭(島田市敬信寺)と第六回逸民忌(藤枝市文学館前)が開催された。午前10時から島田市にある敬信寺で営まれた墓前祭には、遠く東京や富士市から訪れた文学ファンもあった。

小川国夫が他界されて6年、月日の経つのは早いものである。墓前祭では、交流のあった方々による「小川国夫の思い出」を語った他、小川作品「アポロンの島」収録、<夕日と草>の朗読があった。この作品の舞台はヨーロッパ(スイスかフランス)で、作中のムトン音は、「毛織物工場からもれてくる音」であろう。それから小川さんの愛唱曲「アメージンググレイス」(賛美歌)を、東京から参加した小此木智秋さんが演奏した。

午後には場所を藤枝市文学館(蓮華寺池公園)脇にある小川国夫文学碑に舞台を移し、第六回目の逸民忌を開催した。八木洋行藤枝文学舎会長の挨拶のあと、小川さんの母校、藤枝東高校生徒による小川作品の朗読劇「手強い少年」(『逸民』収載)が演じられた。この作品の舞台は蓮華寺池で、登場人物、品川嘉一は民俗学者の野本寛一先生がモデルだといわれている。往時、野本さんは徳之島へ民族調査を実施した際、奇病に罹り藤枝私立病院に入院した。その折、心配した小川さんも病院に駆けつけたという。「手強い少年」は、そんなことが一つの要因になって誕生した作品である。

今年も天候に恵まれての開催になったが、藤枝東高校の生徒の朗読上演の折は、蓮華寺公園を散歩している人も、足を止め熱心に耳を傾けていた。

平成27年の第七回逸民忌は、4月12日(日曜日)を予定しています。ぜひご参加ください。


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# by fujiedabungakusya | 2014-05-20 05:56 | お知らせ

八木洋行と行く甲州路 ~ 文学・歴史・民俗の旅 ~
 
今年は、民俗に精通する八木洋行氏の案内で、甲州市を中心に大菩薩峠の麓から武田信玄ゆかりの地を訪ねます。大菩薩峠は、中里介山が著わした時代小説「大菩薩峠」の舞台で有名です。小川国夫氏が島尾さんの発言に触発されて読んだと「くにおの談話室」で語って下さいました。又、上野原市西原地区に伝わる三頭獅子舞(民俗無形文化財)を八木氏の解説付きで観ます。旅の最後は、勝沼で滋味豊かなワインを楽しみましょう。

●日   程      9月13日(土)・14日(日)
●参 加 費  25,000円(資料代・保険代を含む)
●申し込み・問い合わせ 《申込締め切り  5月31日(土)》
●電話 054(638)4335 鈴木宅
●定   員  20名 ※  (定員になり次第締め切らせて頂きます)

●行   程
      9月13日(土)
藤枝市文学館(AM8:00)新東名 新富士~ 朝霧高原道の駅~
甲斐善光寺(11:15)~ 府市内(昼食)銀座江戸屋(12:05)
~ 武田神社 躑躅ヶ館(PM13:15)~ 雲峰寺(PM15:05)~
大菩薩ライン~恵林寺(PM16:55)~ 宿中村屋(PM17:40)
      9月14日(日)
中村屋(AM8:30)~ 雲寺(天目護国禅寺) ~ 勝沼
上原 ~ 棡原ふるさと長寿館(昼食AM11:45)~
西原藤尾二の宮神社《西尾の獅子舞》(PM13:00)~ 上野原
ぶどう寺 大善寺(PM16:05) ~ 勝沼ワイナリー(PM16:35)
~ 河口湖 ~ 御殿場 ~ 沼津SA ~ 岡部 ~ 藤枝市文学館(PM20:00)


甲斐善光寺=開基は武田信玄・山門と本堂は重要文化財になっています。
躑躅ヶ館=中世の城館跡・武田氏60年の本拠地であり現在は武田神社になっています。
雲 峰 寺=武田氏祈願寺・日本初と言われる日の丸の旗が納められています。
ぶどう寺=開山に由来するのですが行基作と伝えられている葡萄を手にした薬師如来様が祀られています。


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# by fujiedabungakusya | 2014-04-13 10:56 | お知らせ